現実と夢の狭間を彷徨う
昨日ブログを書いてから、ずっと意識が飛んだり戻ったりを繰り返している。
目を瞑るととてもリアルで嫌なことが起こる(という幻想というか、妄想。)
一つ目は、母を誰かに取られる(不特定多数の人間、または組織的な何か)という夢。
これが、一旦起きて「なんだ、夢か」と思ったらそれもまた夢で・・・という無限のスパイラルに陥ってしまい、最終的には「夢を見たくないから起きていたい」と起きたつもりの夢を何度も見る羽目になり、やっとこさ現実的に起きられたのだけれど気づいたら泣いていて、それでも夜明けくらいの時間だったので母の布団に潜り込み、強制的に母を捕まえておくことによって終了させた。
普段、まぁ当たり前なんだけど一人で寝る。猫はいるけれども一人で寝る。
我が家の部屋割りは、ちょくちょく変わったりはするけれど、二階の三部屋は「私の部屋」「弟の部屋」「両親の部屋」と大きく三つに分かれている。
というわけで、早朝泣きながら両親の部屋に入っていき、母の布団に潜り込んだわけだが、父も何事かとそわそわしていたし、結構恥ずかしかった。
でもそれしか方法が見つからなかったので恥は書き捨てということで・・・。
未だに親離れ出来ていないというか、むしろ酷くなっている気がする。
私は割と両親と関わらないまま、基本的に弟に取られたという形で育ってしまったようで、この歳になってようやく甘えることができるようになって見捨てられ不安を抱いているようだ。
もちろん仕事に追われて精神的に限界がきているのも原因だと思う。
その後も何度か眠ろうとして見たが、何度やって見ても嫌な妄想がはびこる。
今日は彼氏と家電量販店にパソコンを買いにいく約束をしているのだが、それの待ち合わせの連絡をしたという妄想では、冷たくあしらわれ、結局どうすることも出来ないという割とリアルな夢?を2回ほど見て、嫌気がさして一旦起きる。
いつも優しくてわがままを聞いてくれる超いい人なので、たまに冷たくされると見捨てられた気がしてなんとも言えない。ただの考えすぎなんだろうけど。
次は、私が仕事をしている最中の夢。
基本的に何でもかんでも書き留めておかないと忘れてしまうし、きちんと予定を立てながら進まないと発達障害がもろに出て何も出来なくなってしまうので、必要以上にメモを取りまくる癖が高校生の時からついている。
授業の内容とか会議の内容とかを細かくメモしておかないと、忘れてしまうからなのだが、それぞれのジャンルによって全部手帳を分けていて、スマホで総合管理する・・・というなんか効率悪くね?というやり方が一番私には合っている。
それでその妄想の中でも私は仕事の資料を読みながら要点をノートにまとめていたのだが、隣の席(多分カフェかなんか)に割と派手めなおばさんが座っていて、その人も何かメモを取っていた。
気がつくとおばさんが私のノートを覗き込んでおり、私に話しかけてくる。
「何をそんな必要ないことまでメモするの?あなたなんの仕事してる人?出版でもやってるの?」(割と強めな口調で、言うなれば、私が一番偉いし正しいといった感じの言い方)と私に問い詰めてきて、私はしどろもどろしながら「一応出版の編集をしてます・・・」と答える。
これだけの夢なのだが、私には「お前には文才がない。さっさとどっかいけ」という風に聞こえてしまって、非常に辛かった。
実際確かに文才はないのかもしれないけど、大学で結構頑張って文章能力を身につけたつもりだし、ライターや今の仕事を通して役立っているし認めてくれる人もいるのだが、たまに初稿で修正点があって再稿というのが何度か続くと、本当に自分の力の無さに落ち込んでしまう。
「依頼→初稿→修正再稿→校了納品」くらいまでだったら、まぁいくつか修正点を指摘されてその部分を直して校了!で気持ちよく終われる。
「依頼→初稿→修正再稿→修正再稿→・・・」というように何度も何度も今度はここ、今度はここ、と突っ返されることもあり、このパターンには結構落ち込みます。
丁寧に仕事しているつもりでも、クライアントさんによってだいぶ文章の書き方も感じも変わってくるもので、「シンプルに要点だけ、できるだけフランクに」っていう人もいれば、「ガッチガチの文章で、細かく、全て厳選して!」という人もいて、なかなかクライアントさんの特徴を覚えるまでが大変。
一番落ち込むのが、「今回はこれでいいです。こちらで修正しておくので。」みたいな感じで打ち切られるパターン。
自分が悪いのは十分わかっているけど、その修正記事を見ると、依頼になかった内容まで書いてあって、こんなの不条理だろ!と思いながらもそれが仕事だから自分の力不足だ、そこまで察しがつかなかった自分が悪いんだ、と落ち込む。
だんだん眠ることが怖くなってきた。
眠いけど。
マニュアルでも作って少しでも仕事頑張ります・・・。