雪乃琥珀録

独り言とか

双極性障害について

どうもこんばんは、えりこです。

 

先週ぐらいから急にもともとの精神病が悪化してしまい、会社に行けない日々が続いています。

 

今日はそんな精神障害心療内科に受診している人たちの(自分を含めてですが)苦しい生活を語っていきたいと思います。

できるだけ現実的な話(盛ったりしないで、もう本当に困っていること)を話します。

 

まずは私の精神病について軽く説明していきたいと思います。

実は精神病というのは脳の病気とも言われていて、現在確実な治療法は確立していません。

 

「全く精神障害について知らない」。という方のためにも、理解を少しでも得られる様に説明していきたいと思います。

 

とはいえ、世界中にはいろんなタイプの精神疾患があふれていますので、私の場合のケースについて自分で把握している限りで説明させていただきます。

 

まず、私が病気を本格的に発症したのはおそらく小学校高学年ぐらいの頃です。

その頃は学校での対人関係や、家庭内の事情などもあり、軽い摂食障害と軽い鬱、病院では「自律神経失調症」「起立性調節障害」と言われた記憶があります。

もともと人前に立つことや目立った行動が苦手で内気でしたので、余計に周りについていけなかったことと、私の家庭は所謂「英才教育」でしたので、それも原因かと思われます。

毎日、やりたくもない習い事や塾、公文、空手、水泳、ピアノ、器械体操など割とありとあらゆる習い事を強制的にやらされていたことのストレスなどが主な原因で、それが原因で友達と学校終わりに遊ぶ、休日に遊ぶなどの経験を一切してきませんでした。

当然友達の輪にも馴染めず、少数の友達と呼べそうな人はいましたが、卒業が待ち遠しくて仕方ないくらい保健室通いの毎日でした。

この頃、唯一の取り柄だったスポーツも、股関節を悪くしてしまったせいで走れなくなり、真っ暗な闇に突き落とされたような気分でした。

それでも毎日強制的に学校は行かされていましたが、たまに登校途中でどうしても足がそれ以上前に進まなくなり泣きながら帰ってきたこともあります。

 

それも中学に入って多少改善されると思っていたのですが、相も変わらずその生活は続き、流行りものに敏感な同級生とは違い、一切したいことをできないまま陰キャラと呼ばれる部位(ヒエラルキーの下から二番目ぐらい)を三年間耐えました。

当然いじめなどもありました。

酷いときは、いじめられている友達を助けたら自分がターゲットにされることもしょっちゅうでした。

 

そんなこんなで中学時代を終えるころ、今考えると完全に鬱状態に陥っていたと思います。親にも言えず、言ったところで「甘え」の一言で一蹴されてしまうという恐怖から言い出せずにいました。

結局言い出せたのは高校卒業時ぐらいです。「実はあの頃、こんな状況で本当につらかった」という告白をしました。

 

その告白をするきっかけとなったのが「摂食障害」です。

高校は楽しく過ごしていたのですが、親との折り合いが悪く一刻でも早く自立したいと思っていた私はアルバイトを2,3掛け持ちして高校に行きながら働いていました。

幸い職場には恵まれ、3年、5年と続けることができましたが、ある日突然バイト先(その職場はコンビニでした)で急にいままで経験したことないような吐き気に襲われ、その時にはもう時すでに遅しで、急いで病院に行ったものの歩くこともできず、水すら飲めない(吐いてしまう)状態で、車いすで意識もうろうとしながら検査を受けたことを覚えています。

 

その日を境に引きこもる様になり、ご飯も当然食べれず、一週間で10キロ痩せてしまい最低体重は36㎏でした。(身長は160㎝です)

様々な薬、点滴のおかげで一時的に回復しましたが、そのころには「境界性人格障害」を発症していました。

当然バイトも続けられなくなり、すべてのバイトを辞めて、行ける日だけ登校するという生活になりました。

 

なんとか担任の先生の協力もあり、短大に進学することができましたが、この頃にはもう自傷行為、自殺未遂を何度も繰り返していました。

周りにあまり悟られたくなかったので(それは今でも同じですが)表面上元気にふるまうようにしていましたが、普通のバイト(居酒屋さんとかですね)はシフト通りに体調がコントロールできなくなっていたため、夜の仕事を選びました。

そこからは躁鬱を繰り返し、ある程度自由に休みの取れる仕事しかできなくなっていました。

 

最初は好きで夜の仕事を選択したわけではないですが、周りの同僚も同じような人(なにかしらの事情があってその仕事をしている)人も沢山いたので、なんだかんだで五年間続けることができました。

 

でもやはり夜の仕事は偏見を持たれやすく、完全な女社会なのでストレスも沢山あり、私生活の方も上手くいかなくなってしまい、結局やめることになってしまいました。

 

そこでやっと最近の話です。

夜の仕事を完全に辞めたのは今年の2月ぐらいだったと思います。

そこから在宅ワークを始めてみたものの、当然給料が低くて到底一人ではやっていけないと判断し、思い切って昼のお仕事に転向してみることにしました。

 

それが今の会社です。

これもある意味タイミングが悪かったのかなと思います。

入社(四月)から8月終わりまでは順調に仕事をこなせていて、上司からも期待されるような立ち位置になり、普通だったら瞬く間に出世コースに行けただろうに、9月に入り昇給し、そこから一気に鬱が来てしまいました。

それで仕方なく正社員を降りることを今日決めました。

これから先、どんな仕事をしたとしてもこの病気と付き合っていく限り健常者と同じように仕事をすることができないんじゃないか、と確信してしまいました。

 

上司と話し合った結果(会社にはあらかじめ病気のことは伝えてありますが)一旦、正社員を降りて、契約社員ぐらいの扱いで出勤日数を減らしたり、自分の体調を見て、今後のことは考えようということになりました。

 

でも今心配なのは、今後の自分の人生です。

このまま中途半端に合ってるかわからない治療を続けながら、精神的にも肉体的にも少しでも無理をすることができず、おそらく一般の企業では働けないでしょう。

 

一生です。

これまで何度も自分の人生に絶望してきたけれど、ここまで自分の身体のせいで思うように生きれない、したいことができない、これまでにない絶望です。

情けなさと、なんで自分はこうなってしまったんだろうという悶々とした考えがずっと頭の中をループしていて、これまでお付き合いしてきた方ともうまくいかなかった理由は全部、私の病気のせいで、病気さえなければ、もっともっと幸せに生きれたんじゃないかって何度も考えます。

 

実際どこの国でもそうかもしれませんが、精神障害に対する理解が著しく乏しいです。

そのせいで余計に私たちは苦労して、悪化して、悪循環を辿っています。

 

「甘え」「やればできる」

そんなのは自分が一番先に考えて努力してきたけどどうにもならなかったからこんなに苦しい思いをしているということを、理解してくれというほうが無理な話なのかもしれませんが…。

 

私は少なくとも甘えたくない、やればできると信じていたいです、今でも。

どうしても身体が言うことを聞いてくれないとき、真っ暗な闇の中にいるようなとき、どんなに親しい人間であっても関わりたくないのです。

1人にしてほしいのです。

 

たすけてくれと思う一方で、助けないでくれ、ほっといてくれ、そう思ってしまう自分が嫌いだし変えたい。

応援してくれる、心配してくれる人に少しでもお礼をいわなきゃ、感謝しなきゃと思うのに、できないんです。

 

もう心配してもらっても手を差し伸べてもらっても何も変わらないっていやというほどわかってしまっているからです。

 

感情がなくなります。

記憶もあいまいです。

これまで自分がどうやって、例えば去年の今頃何してたかなんてそんな簡単なことすら思い出せないんです。

 

過去の話が嫌いです。

「前こんなことがあったよね」

そんな風に言われても、覚えていたいのに覚えてない、思い出せないからです。

悪意はないのに、覚えてない事で相手を傷つけてしまうことがとても多いです。

 

思い出とかは極力写真や記録に残して覚えておきたいとおもうのに、うまくいきません。

 

治らない病気はどうすればいいんですか

治りたいと思っているのは一番当事者なのになんで責めるんですか

 

責められても誤ることしかできないこの不甲斐なさからくる不安をどこにぶつけたらいいんですか

 

それも誰もわからないんですよね。

 

死んだら楽になれるならって思うことがあります。

死んだら病気も一緒に無くなってくれるから。

 

他人は「簡単に死ぬとかいうな」とか「それこそ逃げてるだけだ」

とかいう人もいます。

 

でもそうじゃない。逃げる場所があるなら逃げます。

もう逃げる場所もないんだってことを言えない気持ちが普通の人にわかりますか

 

この先何十年と、普通の人生を送れないことが保障されている私たちの絶望感は、私はこれ以外に味わったことがないし、むしろほかの絶望感になら耐えられる自信もあります。

だって健康なんだもの。なんだってできる。

 

何が書きたいのかわからなくなってきた。

この先どうすればいいんだろう

 

ずっとそんなことを考えて生きていると疲れます。

疲れました。

 

人前で元気に振る舞うのももう限界です。

なにも残されてない、

私は何も与えられなくて、自分のことで精いっぱい。

 

支離滅裂になりました。

すみませんでした。

 

読み流してくれて大丈夫です。

 

聞いてくれてありがとう